行為が必要なときには、行為は起こる。人は行為者ではないのだ。
ニサルガダッタ・マハラジ 『私は在る』(p279)
行為が必要なときには、行為は起こる。人は行為者ではないのだ。
ニサルガダッタ・マハラジ 『私は在る』(p279)
私の教えの基本は、 「意識が存在するすべてである。 つまり『誰』もどんな行為もしていない。 神の意志がなければ、何ごとも起こらない」 というものです。 そして、私が「神」と言うとき、この現象界の内側や外側にいる、 全能なる存在のことを言っているのではありません。 私が「神」と言うとき、それは、源泉、意識、つまり二番目のな い一なるものを意味し、その中で、現象化が起こっています。 仏陀は次のように言っています。 「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はい ない」。 これが基本です。 これ以上短く、シンプルな言葉でこのことを表現できた人はいな いと思います。 出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいな い。 ですから、個々の行為者がいないのであれば、「誰」がそれをす るのか、という質問は不適切です。 けれども、知性が質問して、答えを得なければならないというな ら、知性は、 「誰の行為か?――神の行為です」
と教えられるのです。
ラメッシ・バルセカール 『誰がかまうもんか?!』(p27-28)
あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。 あなたに言おう。 これが幸福の秘密なのだ。 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自 己の真の本性に関するあなたの無知によるものなのだ。 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと 知ることが智慧なのだ。
ニサルガダッタ・マハラジ 『私は在る』(p523)
平田裕香(No.1) 4/1~4/30
48 :名無し物書き@推敲中?:2011/04/21(木) 20:38:23.16
»40
報酬刺激って言葉知ってる?
人の脳は、既に「同調した知っている情報」に対してしか興味を持たず
その知っている情報の更新のみを必死になって行うんだそうだ。
だから別なところ、いや、目の前に「別な面白いネタ」があっても、他人が
これ面白いよといっても、相変わらず自分が「同調した知っている情報」に
対してのみ、情報の更新がされるのを期待するんだそうだ。
これを報酬刺激とか言うんだそうだが、広告屋や、コンテンツ屋も釣る為に
利用するらしいよ。
注意したことができない子供に対して「何回言ったらわかるの」という親がいるが、その答えは、最低「40回」なのである。無意識は、それぐらいの回数をこなさなければ、今までと違う方法を受け入れてはくれない。
優秀な人は他人が馬鹿に見えて仕方がないのかというと、どうやらそんなことはない。私の知っているアタマの良い人たちは、ほぼ例外なく他人の能力を見抜く目を持っている。馬鹿な人には他人の能力が見えない。だから馬鹿の目には誰もが馬鹿に見える。なんということだろう。”
- Twitter / tako_ashi
後悔をするのが中毒だそうです。例えば、酒呑んで次の日後悔してるならアル中の危険があります。毎日酒を呑んでも次の日「ああ、楽しかった!」と思えてたら中毒ではないそうです。甘いもの食べて後悔するならそれはもう中毒です。DVも暴力振るった後に後悔するそうです。後悔と依存は深い関係。
「”呪” とはなんであろう?」
すると晴明は、庭に咲く花を指差して答える。
「あそこに花が咲いているであろう。あれに人が”藤”と名を付けて、みながそう呼ぶようになる。すると、それは”藤の花”になるのだ。それが最も身近な”呪 ”だ」