わしが日本語でものを書くことによって5年にわたって究明しようとしたことのひとつは、「使う言語によって、どのくらい世界が違ってみえているか」ということだった。
他のことには全然興味がなかった、とゆってもよい。
日本語のほうが「表現できないこと」の範囲が広くて、その表現不能な領域が人間関係をあらわす言葉や表現に偏っているのは予想と大きく違っていたので面白いと思ったが、そういうことはブログ記事なんちゅうもので書き連ねることではないよーだ。
ここでは、ただ、日本語世界では西洋語全般に共通した「friends」という関係をつくるのはほぼ無理だろうと思った、というだけにしたい。
こっちは言葉と関係があるかどーか判らないし、この先ちゃんと考えてみる予定もないので、永遠に判らないままになってしまうだろーが、もうひとつ、ぶっとびまくったのは、日本人のボーイフレンド・ガールフレンド、もっというと配偶者同士の関係の「遠さ」で、西洋ではアメリカ人の婚姻に関する考えのマヌケさが有名だが、それとはまた質が違う不思議な縁の遠さだった。
「西洋では他人同士という認識がちゃんとあるけど日本にはないから」という女のひとに会ったことがあったが、言われたのがマジメ公式っぽいパーティでの事だったので、「えええええー、おばちゃん、それ日本のひとのほうがすげえーんちゃうの」と言うわけにはいかず、
「そーですか」と答えるだけで終わってしまったが。
どう一般化のレンジをしぼったり広げたりしても、やはり、日本のカップルのほうが西洋カップルに較べれば遙かに「他人同士」に見えてしまう。
そーゆーことは、性的ファンタジーと関係があるのだと、青山のバーで年柄年中ことなる日本人のはくいおねーさまを連れてあらわれるJというアメリカ人友達が述べていたが、わしは日本人のガールフレンドがいたことがないので、そこまではわかりかねる。
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